はじめに
平成の大合併により、2004年(平成16年)10月に旧水口町を始めとする5町が合併し甲賀市が誕生しました。この記念事業として平成17年度に「伴谷の歴史」が伴谷公民館により刊行されました。そして、当時の伴谷地区々長会の総意として、各区もそれぞれ「区の歴史」を編纂することになりました。
社会の急激な変貌に伴い、当区や周囲を取り巻く環境は、住宅団地の開発、工業団地やゴルフ場の造成等、急激に変貌してきています。しかしながら、伴中山区にはまだまだ自然が多く残り、神社仏閣を始めとする歴史的遺産も多くあり、伝統的な生活文化が現在まで受け継がれています。そこで、区民の皆様方の協力のもと、郷土の歴史を回想し、祖先の残した伝統的な生活文化・産業を記録として後世に残していくことは、意義深く、ひいてはこれが区発展の礎となるものとの思いから「伴中山区の歴史」の編纂に取り組むことになりました。
しかしながら、何分、1年にも満たない短い編纂期間と少ない文献をもとに不慣れな委員での取組みのことから、不十分な点が多々あると思いますが、内容の至らない点は定期的に機会を設け、訂正・更新していただくとして、本書の発刊が区民の皆様方が郷土を理解する助けとして、区の益々の発展の助けとして多面的に活用していただけることを期待して止みません。
平成20年3月
伴中山区 編纂委員一同
伴谷の由来及び各字の由来
伴谷は、大字八田、春日、下山、伴中山、山の五大字の総称で明治5年区制施行第二区に入り同18年に併合戸長役場を春日に定め同22年4月町村制実施にあたり伴谷村となった。同年村役場が、伴中山に設置された。明治43年2月25日伴谷村は村是を定め自治の実績を挙げ、内務省の推賞を受け模範村と称せられた。古代より伴谷は、山直氏が支配し、本拠地であった。永久2年8月源義光郷が支配し金光院領とし、永く燈油料を納めさせていた。その後、園城寺内金光院領に転じ、長寛2年以後は柏木荘の御厨司に入った。
大字伴中山 住家110戸
伴中山は、神宮領柏木御厨司五郷の一つで、元徳3年注進目録に出る中山郷である。中山民部丞(伴氏一族)の所領後柏木御厨司職山中氏の管治下となった。応仁以来、再度伴氏支配下となり天正13年中村一氏、増田長盛、長束正家と代わり、伴上野介資光氏、伴勘左衛門氏の所領となり、寛永11年水口城代小堀遠江守や代官平岡四郎左衛門、鳥居伊賀守となり、正徳2年加藤和泉守より世襲することとなった。明和8年旗本美濃部伊織の支配下、天明以後代官は、岩出伊右衛門、多羅尾四郎右衛門、天保四年稲葉長門守の堤封に入り子孫世襲することとなり、明治維新となった。
地形・地質・山
地形地質
伴谷地区は変形五角形にして周囲は松尾、名坂、北脇、泉、岩根、下田、蒲生郡に接し、伴中山地区はそのほぼ中央南に位置し、変形長方形を形成している。地質は、青の軟岩、白の軟岩が出、第三紀層と砂土の少し入った土で、四紀層は重粘土地で、土質は、粘質壤土、砂質壤土の土地柄である。
伴中山の山 6カ所
*平尾山、高さ、約6m余り、本村南にあり、周囲約25㎞、平尾、座禅坊、北脇、山村に囲まれる。現在は工業団地。
*高塚山、高さ、約15m余り、周囲約5㎞、正保、南は北脇に接し、現在は工業団地、
*峯道山、高さ約6m余り、周囲約7㎞、南は百姓村、西は六反田、北は春日、東は山村に囲まれる。
*狐山、高さ約6m余り、周囲約2㎞、峯道山の西北に位置す。
*椎木山、高さ約6m、周囲約30㎞、本村西北にあり、北は春日、西は下山、南一帯は神田に面する。
*官山、高さ約8m、面積約2,500㎡伴中山の北東に在り。(明治18年伴中山地誌)による。
伴中山の小字20カ所
笹尾、正保、北山、座禅坊、神田、城下、平尾、中切、百姓村、小谷、六反田馳登、峯道、杭原、岸田、岩谷、西浦、村外、椎木谷、芳ケ谷。